東京回遊魚

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文京区ゆかりの文豪〜樋口一葉編〜

 

文京区にまつわる文豪シリーズ第二弾、お送りしていきます。
今回は、5000円札にもなった「樋口一葉」と文京区の関係について紹介していきたいと思います。

 

彼女は、小説家・歌人として、若くからその才能を発揮しましたが、天才の宿命か、天に早々に呼ばれてしまい、24歳でその人生を終えました。
その短い一生のうち、文京区で生活したのは約10年の間だそうです。生涯のうち、実に半分近くの時間を文京区で過ごしたということですね。

 

彼女は、千代田区に、一家の第五子として誕生しました。彼女の祖父、父は学問を好むアカデミックな人間であり、彼女はその影響を大きく受けたものと思われます。4歳の頃に、東京大学の赤門付近に引越しをし、そこから5年間をその家で過ごします。彼女の父は、幼い我が娘の文章の才を見抜いて、和歌などを習わせました。彼女の才能は、父の支援があったところも大きいのかもしれません。
その後、文京区にある歌塾、「萩の舎」に入門し、和歌と古典の勉強に勤しむこととなりました。


その後、彼女は、父や兄が早くに亡くなったことから、戸主として一家を支える必要性に迫られました。しかし、小説家としての道を諦めることはせず、その頃女性たちに与えられていた針仕事などの職に傾倒することなく努力を続けました。しかしながら、かなり金欠に困らされていたようで、金策に奔走する人生だったようです。ペンネームの「一葉」も、この金欠からきたものではないかと言われるほどでした。もし一葉が裕福であったなら、もっと数多くの名文を世に送り出せたのだろうか、などと考えてしまうのは失礼なことでしょうか。

 

一葉は、明治27年5月、本郷の菊坂に居を構え、ここで亡くなります。この場所は、区指定史跡に指定されており、現在もかつて一葉が使っていた井戸などがそのまま残されています。それだけではなく、この辺り一帯がかつての風情を残した珍しい街並みになっています。
東京の路地裏に広がるノスタルジーをカメラに収めるべく、休日には幾人かが、その趣を味わいに足を運んでいるようです。
文豪と同じ空気を吸いに、菊坂を訪れてみるのも素敵な夏の日の過ごし方かもしれません。

 

 

以上です。ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございました。